フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

自分の内部(体・心)に向き合う時間

ATMAwareness Through Movement)レッスンを受けている時、自分の内部(体・心)に向き合う良い機会を得られる。特に、普段「自動化」された動きを担当することがほとんどの「体」を見つめる時間を持つことができる。

  • 歩く
  • 自転車に乗る
  • 包丁で野菜を切る
  • コピーをとる
  • メールを打つ
  • キーボードを叩く
  • ……

体は毎日毎秒いろいろな動きをしている。それらの動きを

  • 「今、私は指をどう動かしているか?」
  • 「右足を地面から離すタイミングはいつ?」
  • 「どの位の力で切っている?」

といったことを全く意識せずに行っている。逆に、そうした事を意識した途端、

  • 自転車はふらつき
  • 包丁は指を切り
  • 違う操作ボタンを押す

羽目になる。日常生活で、自分の動きを見つめていたら、混乱し、物事は進まない。
ATMレッスンでは、日常動作とはやや違う種類の動きをしながら、自分の体が何をどう感じているのか、どのように動いているのかを探っていく。(Explore=探索する)
動きそのものを意識すると、いつもの「自動化」がOffになる。そうすると、動きに不安定感が生まれる。不安定になると、体は緊張する。緊張すると、「探索」力は低下する。このため、ATMレッスンでは床に寝て、あるいは座って行うものが多い。特に、寝て行うと「体を支える」任務からたくさんの筋肉が解放されるので、体は緊張から少し距離をおくことができる。
指示に従い、小さく、軽く動いていく。体のあちこちに力を入れたり、大きく・急いで動く必要はない。指示された部位を動かしたら、体のどこに「動きが波及」するか?どこか体の一部を緊張させていないか?をいつも感じながら動く。感じることで自分の内部に向き合えることになる。
逆に、感じることに注意を向けず、いつものように「機械的に」レッスンの動きをしていたら、自分の内部に向き合うチャンスを逃してしまうのである。「自動的」「機械的」は、生きていく上で必要不可欠なものだから、非常に強い力を持つ。「感じる」ことにかなり注意を振り向けないと、簡単に「機械的」な動きが出現する。
この「感じる」ことを積極的に行うのがATMレッスンであり、「感じる」ことが自分の内部に向き合うパスポートになるのだと思う。