フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

自転車に乗ることに似て

FPTP京都で、講師の口から何度も出る言葉。

フェルデンクライスは「治療」ではありません

フェルデンクライス・プラクティショナーになるべく、現在コースで学んでいる私達は、もちろんプラクティショナーではない。プラクティショナーではないが、今すぐクライアントにはなれる。
セグメント中、毎日ATMレッスンを受け、また、期間中1回FIレッスンを受ける。そういうこともあってか、「プラクティショナー」として観察し物事を考えるより、「クライアント」的立場で感じ、学び、考えることの方が、私の場合まだまだ多い。それでも、時々ふっと「プラクティショナー」的な立場に立って考え込むことがある。こうして2つの役柄の間を行ったり来たりしながら、学んでいくように思う。
だから、この「フェルデンクライスは『治療』ではありません」がプラクティショナーとしての心得のひとつであり、同時に、クライアントに向かって発せられた「注意喚起」でもあることに気づく。

FIレッスン時、クライアントを

  • 眠らせてはいけない。
  • 眠りそうになっていたら、さりげなく起こす。
  • 眠ってしまっては「学習」にならないから。

と第3セグメントで講師のロビー・オフィアー氏(Mr. Robbie D. Ofir)がおっしゃっていた。

そこで思ったのが「自転車に乗ることに似ているなあ」だ。お母さんがこぐ自転車に取り付けた椅子に座っているだけの小さな子供は「自転車に乗れる」といわない。「自転車に乗れる」とは「補助輪なしで、自力で自転車をこいで、走ることができる」ことをいう。
フェルデンクライスは、クライアントが自力で自転車に乗れるようにする手助けをするのであって、補助椅子に座らせておいて、プラクティショナーが自転車をこぐのではない。
自転車に乗れるようになるには(乗れるようにするには)、「眠って」いてはいけない(眠らせてはいけない)し、「眠って」なんかいられないのである。そして、これらは治療ではないのである。(でも、まだ腑に落ちていない…)