頭と身体の間にはズレがある
先日「セカンドウィンド」のことを書きました。(2008.11.25)
長距離ランニングで使われる「セカンドウィンド」という言葉をご存知でしょうか。
これは走り始めは呼吸が苦しく、とても長く走れないと感じていても、
しばらく経つとラクになって快適にランニングが楽しめるようになるという状態。
(2008.11.24付朝日新聞広告面『A21』久米信行さんへのインタビュー第4回記事)
走り始めの呼吸の苦しさが、走り続けているうちにラクになる
なんて文章で読むだけや話を聞くだけでは、正直「???」です。普通、頭で考えるのとは正反対のような内容です。「走り出して時間がたてば、さらに呼吸は苦しくなる」と私なら思います。頭は勝手に決め付けるわけです。ところが身体のシステムはそうなっていないらしい。そして頭は身体のことを実はよく知らないのです。身体の可能性を狭めているのは、その身体の上にのっかっている頭なのかもしれません。
「セカンドウィンド」のような、頭が勝手に思い込んでいることと、実際の身体との「ズレ」は、フェルデンクライスのATMレッスンを受けると実感します。
レッスンではATMティチャ―から
- ゆっくり
- 小さく
- 努力を減らして
- 頑張らずに
動くと「ラクに動ける」とアドバイスされます。「ラクに動ける」ことと「ゆっくり」や「努力を減らして」がつながりません。「セカンドウィンド」の呼吸と似ています。
メソッドの創始者、モーシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais)が創ったATMレッスンはたいへん巧妙に動きの構成がされていて、アドバイスに従わないと、
- うまく指示通りの動きにならなかったり
- 身体が痛くなったり
- くたびれたり
- イライラしたり
することになります。
ところが、よくわからないまま、アドバイスされるまま、矛盾を感じたまま、「こんなのでいいの?」と疑問に思いながらレッスンで動いていると、ひょいっとラクに動ける瞬間がやってきます。
理屈はわかりませんが、身体がラクに動くのです。ラクに動くのでレッスンを続けてみたくなります。
これも、長距離ランニングでしばらく走ってみないと「セカンドウィンド」を感じないのと同様、レッスンをして動いてみないと感じられないことです。そして、内的観察をしながら走る・動くということも共通していると思います。
頭と身体にズレはあるものの、頭は結構学ぶ(らしい?)のです。
頭の思い込み・決めつけを身体からの情報で修正・訂正ができます。
いったい頭は硬いんだか軟らかいんだか…?
(身体は知ってるのに、私のアタマは知らないのです…このズレが問題…)