フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

‘08春・京都ワークショップで気づいたこと

4月20日(日)に参加したフェルデンクライス・京都ワークショップで一番気づいたことは、どんなにいつも私は構えて(身構えて)いるか、です。正直なところ、ここまでひどく身構えているとは想像していませんでしたからショックです。
講師の安井武さんが出される動きの指示に従い、小さく・慌てず・繊細に動くことで、自分の動きと内部感覚に意識を向けるよう心がけていました。

内部感覚を意識しようとすると、小さくゆっくり動くしかありません。大きく速く動くと、「身体を動かすこと」に意識の大半が向かってしまい、感覚がお留守になります。感じるためには「出力」を抑える必要があるのです。

今回のワークショップのATMは、基本的なレッスン(=動きがシンプル)だったので、次の動きを想像できるところもあった位です。それなのに、小さく動いても身体のあちこちで「固く」しているから、思うように動けない。動きの指示を聞いて、先にイメージしてから実際に動くという時も、イメージ上で動けている範囲と実際では随分と差があってがっかりする始末。身体を固めているから動けないのです。

では、レッスン中ずっと固めているのか?というと決してそうではありません。「動きを止めて」「仰向けになって休んでください」の声を聞くと、固まることをやめているのですから。

こうして、自分の身体を観察し続けていくうちに、気づいたのです。どの時点で私は身体を固めるのか?を。なんと、安井さんのまだ単語にもなっていない一音分の声を聞いただけで身体を固めていたのです!

例えば動きの指示「右手の指先を天井の方へ向けて…」の「み」の音が耳に入った瞬間、即私の身体は凝固。体のどこを動かすのか、どのような動きの指示なのか、せめて一節・一文を聞いてから反応すればいいのに。一音だけで反応しているから、ほんの1‐2秒後に聞く指示と全く関係ない体の部位を固めているのです。もうこれはひどく無駄な反応です。

そんな私は一体どこを固めているのか?腹部でした。もう条件反射のように「声を聞く」→「腹部を緊張させる」の繰り返し…仁和寺の大広間で、これまで何回か参加している、聞きなれた安井さんの声による、「安心感ある」ATMレッスンなのに、この反応…。とすれば、これより安心感の欠ける普段の生活・仕事の場面で、私の反応は?おそらく、腹部を固めたまま緊張させたままなのでしょう。

ATMで動きながらここまで考えて、やっと気づきました。先月、呼吸が浅かった原因を。筋肉痛を起こすほど腹部を固めた状態で深い呼吸はできません。

何をそんなに身構えているのか?どうすれば条件反射の輪を断ち切れるのか?しばらく探索が続きそうです。