フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

シンパシーとエンパシー

シンパシー(sympathy):同情、共感
エンパシー(empathy):感情移入、共感 
(電子辞書内「パーソナルカタカナ語辞典」より)

フェルデンクライスのコースでも何度か話があったこの二つの言葉。新聞や本でも目にするし、説明を含めて耳にしていても「どう違うのか?」がピンときません。どちらにも「共感」と書かれているから、ますます「???」です。


それが、「な〜んだ、そういうことか」となった一文に会いました。

対話流―未来を生みだすコミュニケーション

対話流―未来を生みだすコミュニケーション

 シンパシーとエンパシーの違いは微妙なものですが、最大の違いは発想の前提にあって、相手のことがわかるという前提で考えるのがシンパシー、相手のことがわからないという前提で考えるのがエンパシーです。
 シンパシーは「感情移入」、エンパシーは「自己移入」と訳します。エンパシーを「共感」と訳すことがありますが、これだとシンパシーと混同しやすいですね。
 国語の問題でいうと、「その時、主人公はどんな気持ちでしたか?」と問えばシンパシー型、「あなたが主人公と同じ立場に置かれたら、どんな気持ちになると思いますか?」と問えばエンパシー型です。シンパシー型だと「主人公の気持ちになって考えましょう」ということ。一方、エンパシー型では「主人公の気持ちは本人にしかわからない」ということで、自分自身に置き換えて考えます。
(「対話流〜未来を生み出すコミュニケーション」清宮普美代・北川達夫、三省堂、114頁)

ごっちゃにするかたヘットヘト

これまでいろいろな場面で混乱していたのは、私の中で「感情移入」と「自己移入」の区別がはっきりしていなかったことも一因のようです。正直、自分がどちらをしているのかよくわからないのです。「相手の気持ちになって考えている」のか「自分に置き換えて考えているのか」があいまい。そして、最後はなんだかよくわからないけれどヘトヘトになっている。

気づきの押しつけ厳禁☆

フェルデンクライスのグループレッスンを指導している時にも、時にこれが顔を出します。

レッスン参加者も
私が感じたようなことを(当然)動きの中で感じるだろう

という考えで指導していると、おかしな展開になっていきます。
気づきや学びにつながりません。
(参加者の動きを)観察すれども移入せず、という態度が必要なようです。


同じ日本人だから、同性だから、同じ年格好だから、…と外見に惑わされ、「同じ」というひとくくりにしてしまう。コースの授業や勉強会で何度「レッスンで感じることや変化は、皆それぞれ違う」という場面に出会っても、それは情報を得ただけで、脳の表層どまりのようです。自分の行動・反応を変えるまでには至らない。「みんな、違うんだ〜」と感心しているだけに過ぎません。


  ・レッスン参加者が、何に気づくか、何を学ぶかはわからない
  ・自分の気づきを押し付けない
  ・自分の気づきだけに拠ったレッスンをしない


フェルデンクライス・メソッドのレッスンをするには、観察と提案が大切です。
そして、それには自他を区別することが必要のようです。
(要するに「ゴッチャにしない!!」ですね)