フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

自ら試すことを放棄したら

自分の責任のもとで
自ら試すことを止めてしまうと
人は老いる

今日の講義でのルーシーさんの言葉です
(正確ではないかもしれませんが)


これを聞いて私の頭に浮かんだのは、学習塾(特に「お受験」系)に通う小学生の顔から始まる「試すことを止めた」「年齢を問わない」人達の顔です。

「老い」の定義

「老いる」ことに年齢は関係なさそうだな、と感じ始めています。ルーシーさんを見ていると“生物学的な老い”だけが「老い」ではないことに気付くからです。


生物学的にずっと若い小学生の、彼らが本来持っているはずの“若さ”を覆い隠し、私の目に「年寄りみたい…」と映す。そこには何があるのでしょう?


「老いる」「老化」についてずっと考えている私にとって、ルーシーさんの存在は刺激的です。