フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

親子の間にも気遣いがいる

病院の待合室で聞こえてきた話。

最近、近所の人の姿を見いひんから、そこの娘さんに
「最近お母さん見いひんけど、どうしはったん?」
って訊いたら、なんやグループホームに行かはったんやって。
場所聞いて訪ねて行ったら、なんかな…。


「脳の検査に行くし」って娘と一緒に出かけたら
着いたのがここ(ホーム)やった…って話でな。
あの人とは小学校の同級生で、ようお喋りもしてたんやけど…。
なんかな…。

会話している高齢者の方も、耳にした私も
「なんかな…」(もうちょっと、上手いことできひんかったんかいな)
という思いをした内容でした。


親子の関係は一朝一夕で出来上がるものではないし
長い年月の間に様々なことが絡み合って複雑になっていきます。
他人じゃない分、遠慮がなかったりする場合もあります。
親が高齢化するということは、子供も同じように歳をとる。
親子どちらもが、そこそこ機嫌よく最後まで過ごすには
互いが互いを気遣う必要があるのではないかな?と思います。
「親子」「子供が成人するまでの年月」の枠や習慣で
互いのことをとらえていると何処かで溝が生まれてくるようです。


親にしたら「いくつになっても子供」だし
子にしたら「いくつになっても親」なのかもしれませんが
それだけじゃない面(顔)が年月を重ねる間に
互いにそれぞれどんどん生まれてきていることを意識出来たら
いいな…と思います。