フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

身体は本心並みに物を言い

あれぇ〜!?ゲップが出てる!?


「うちには二本足のカエルがいる」
「カエルが鳴きはじめた」
と、両親に言われるほど私とゲップは仲良し。


でも今は、ふいに頭に浮かんだ上の台詞に私自身が驚くほど
私のカエルはしばらく姿を消していたのです。
「そういえば、ゲップするのって久しぶりだな…」


炭酸飲料を飲んだわけでも
早食いしたわけでも
食べ過ぎたわけでもありません。


ある用事をしていて、カエルが顔を出したのです。
「ああ、この感覚…」とカエルとの再会を懐かしんでいましたが
ちょっと待てよ、懐かしんでいる場合じゃないでしょ!


カエルの様子を見ながら、その用事をし続けていると
カエルの鳴く声が少しずつ大きくなってきているようです。


気のせい、気のせい。


カエルが鳴いている(ゲップが出る、出そうになっている)のが
気のせいなのではありません。
頭が「『ある用事をする』のが嫌ではない」と思っているのが
気のせいなのです。
「イヤではない」が気のせいで、本当は「イヤだ!」なのです。


「イヤだ」がカエルの鳴き声(ゲップ)なのです。
私の本心を浮き彫りにしたカエルに苦笑いです。


苦笑いに至るまで、私の頭の中では何度「気のせい」という声が
聞こえてきたでしょう。そして「気のせい♪」の声に、
私も「そうよね、気のせい気のせい」と反応していたのです。


そのうちカエルが鳴くだけでなくバタバタしだして
ようやくカエルの本体=私の本心に気がつきました。
途端、カエルが大人しくなったのが不思議です。


今回、私の場合は「カエル」ですが
身体のいろいろな訴えを「気のせい」で片付け(無視して)
放置したままにして、挙句、困ったことになる…という展開は
かなり多いのだと思います。
(困ってもまだ気がつかないんだけど…)


それにしても、どうして頭は本心を把握できないのでしょう?
どうして本心は頭に直接訴えず、身体をつかって伝えるという
回りくどいことをするのでしょう?